AndroidとiPhone
最近、よく比較されるし、自分でも比較したりするが、この関係についてちょっと書こうと思う。
AndroidとiPhoneが比較される場合、その文脈は、iPhoneが主体となっている(のだと思う)。そもそも名前からして、AndroidとiPhoneはその対象領域が違うのだ。
- Androidは、人造人間であり、人に密接したパートナーやエージェントという意味が込められているようで、そこには携帯端末というキーワードは強いものの、それだけにおさまらない広いコンテキストがある。
- iPhoneは、想像するにアップルの(携帯)電話でしかないのではないか。電話でしかないといっても、現在の携帯電話と同じレベルの高機能という感じだが、やっぱり電話は電話なのだと思う。
このように考えると、iPhone視点でAndroidを見た場合は、Android劣性になるのは当たり前の話で、まだ実機も出てないのだから仕方がない。
だが、Android視点でiPhoneを見ると、携帯電話の土俵で足りない部分などが見えるので有用(このエントリを書く前に丸山先生も同様のことをおっしゃられていた)だが、それだけでよければiPhoneだけで十分(いいすぎかな)だ。
Androidは「AndroidがAndroidとして活躍できる土俵」でこそ意味があるのだ。またその土俵はiPhoneを大きく凌ぐ。ただ、まだ未知数と言えばかっこいいが、流行るか流行らないかも含め、予測が困難なのは事実である。
しかし、Android勉強会のように「Androidに夢を持っている人々」が多くいることを僕は知っているし、その情熱、パワーは、iPhoneのようにミーハーなものではなく、地に足をつけた底力を感じる。